信仰宗教による弔い方の違いと金銭面でのトラブル

まず、一番よくある揉め事内容ではありますが、金銭面の折半という現実が降りかかった途端、親戚の表情が一気に曇りゆくのを感じました。

 

なくなったのは父方の祖母だったため、息子は2人、娘も2人おりました。

そのうち三人は既婚、一人の息子が軽度の知的障害を患っておりました。

 

いくら実の生みの母親とはいえ、親族のほとんどにはもう新しい家族があり、生計も苦しいということで簡易的ないわゆる「直葬」で済ませることとしよう、と話しておりました。

家庭のない息子一人に関しても、生活能力の欠如や稼ぎがなく、政府の助成金も最低限であったため、結論としては残りの3人で折半することとなりました。

 

祖母は仏教徒であり、家にいたころには毎日祖父の仏壇にお供え物をしたり、手を合わぜる姿を親族の全員見ていたため、最初は「いくらなんでも意向に沿ってあげたい」という話になっておりました。

しかし難しいところで、親族の中には一風変わった新興宗教にのっとるならば直葬の方が理想に近い最後の迎え方ということを主張しておりました。

 

その後は家庭内で葬式はするのか、するとしたらどれくらいの規模を想定しているのか、しないのか、つまるところ折半するといくらの負担が生じてくるのか、たしかに仏教徒ではあったけれども、自分たちがこんなに頭を悩ませてけんかすることを、祖母はのぞんでいるのか…という話になり、やっとのことでその瞬間は全員が落ち着きを取り戻すことができました。

 

その宗派が親戚の多くを占めていたこともあり、複雑な思いもあったことに関しては仕方がないこととして、結局お葬式はせず、一番簡易的なコースを選ぶことになりました。

そのため火葬を行い、お骨を拾うことはなく、焼いたお骨を目に焼き付けた後は火葬上のスタッフの方に納骨堂へ納めていただきました。

 

また、話は冒頭に戻ってしまいますが、遅刻した親族も何名か居り、それを見て肩を落とした親族、怒鳴りつける親族も見受けられました。

 

火葬場の待合室ではもうすでに「祖母の持ち家は誰が相続するか」という話が出されており、かんがえていたよりもずっと軽い話題のような雰囲気に揉め事とまではいかなくとも、大きな違和感を覚えたのを思い出します。

 

生命保険の振り分けなどに関しても、祖母が遺書を残していたわけではなかったため、親族同士で納得いくまで話し合うしかなくなってしまいました。

 

そこまで多額の……と、いうわけではありませんがその話になった途端、祖母の特に娘様方が「私はこういうお世話をしてきた。」「私は月一回は会いに行くようにしていた。」という議論が勃発することになってしまいました。

主張と主張がぶつかり合うだけでなかなか先に進みはしませんし、周りが見かねて止めようとしてもその騒動が収まる気配は一向にありませんでした。

 

それらも結果どうなってしまったかという話ですが、大まかな説明とさせていただくと、ほとんど丁度折半になった形になります。

しかし、私の父(祖母の息子)はそれを辞退する、と待合室から出ていきました。

 

着いていき、少し話を聞きましたが「こんなの当日に言い争うことじゃない。」とのことでした。

私自身も父の意見に賛成ですし、ただ今回のことで「人の死」「金銭」は人を狂わせてしまうのだと、心からそう思いました。

 

今回のことも、一応の結論らしきものはでたものの、当人同士は、又ほかの親族はそれで心から満足できているのか、確かめるすべはありません。

非常に居心地の悪さを感じた葬儀ではありましたが、なかなか顔を合わせない親族の本音を聞くことができましたので、私としては非常に良い勉強になったかなと、プラスにとらえるようにしています。

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